東京で学生時代を共に過ごしたころの友人は、素敵な笑顔の娘だった。
久しぶりに会う彼女は、そんじょそこらでは笑わなくなったかわりに、しっかりとした存在感を持つ人になっていた。
異文化とも言える南の小さな島で結婚をし、三人の子どもを育て、畑仕事をし、牛を飼いながらいくつもの壁を乗り越えてきた10年。その歳月が作り上げた風格が眩しかった。

私は、写真の仕事をしながら、ときどき彼女のことを思い出していた。そして結婚を経て、二人の子どもを持ち、かつて彼女からの長距離電話の受話器から流れ出していたさまざまな悩みが、少しずつ形を変えてわかるようになってきた。
「7歳になる息子は男たちの海の仕事をあきもせずじっとみている。そうやっていろいろなことを学んでいくのだろう」
ある日、彼女のそんなつぶやきが私の心に飛びこんできた。打ち寄せる波までが青く空を透かすあの海を初めてみたときの驚きがよみがえり、子どもたちを連れていきたい、という思いにかられた。

自然の中で見る子どもたちは、驚くほどしなやかでたくましかった。少し腰をかがめて彼らと同じ目の高さになり横顔をのぞいてみる。ああ、こいつらも一人の人間なんだと、当たり前のことを改めて思う。
ある日の夕食のとき、なにかの弾みに3歳になる娘が聞いた。
「いのちって、なに?」
少しドキッとしながら
「命って、ここにいるってことだよ」
と答えてみる。島で生まれ育った友人の夫が言った。
「難しいことを言うなあ。命ってのは、美味しい!ってことサ」
食卓に置かれた皿の上では、今さっき彼が釣ってきた大きなイカが、あと一切れでなくなろうとしていた。
1996
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